What is "BASIE" ?
What is "BASIE" ?

● Duke Ellington と並びビッグバンド界を 代表するバンドリーダー/ピアニスト、
ウィリアム・“カウント”・ベイシー( William 'Count' Basie )。 1904年8月21日ニュージャージー州レッドバンク生まれ、 1984年4月26日フロリダにて死去。 1936年から1984年まで、途中わずかな中断期間はあった ものの半世紀近くも一流ミュージシャンを擁する自分の ビッグバンドを率いて世界を回りつづけた。 日本でも熱狂的ファンは多い。



〜1936年(ビッグバンド結成以前)

● はじめはドラマーを目指していたが、当時の音楽仲間の 中に後に Duke Ellington 楽団で名を馳せる Sonny Greer (Ds) がいたため、ドラマーの道をあきらめ、ピアノに転向。 Pete Johnson、Fats Waller などに影響されストライド ピアノのスタイルを独学で身につける。特に Fats Waller とは プライベートでも仲が良かったらしく、オルガンの手ほどきも 受けた。彼の身につけたストライドスタイルはバンド同士の 対決で絶大な威力を発揮したらしく、ストライドスタイルの ピアニスト1000人抜きを達成したという伝説も 残っている。ヴォードヴィル一座での活動、無声映画の 伴奏などを経た後、ギャングの市長として有名な Tom Pendergast 支配下のカンサスシティに進出、 Walter Page (b)、Jo Jones (ds)、Jimmy Rushing (vo) らを 擁す Walter Page's Blue Devils に加入し人気を博す。 しかし、当時カンサスシティで絶大な人気を誇っていたバンド リーダー、Benny Moten (p,ldr) のバンドに吸収される こととなる。




 
1936年〜(オールドベイシー時代)

● Benny Moten のバンドではベイシーはサイドピアニストの 地位に甘んじていた(とはいっても、Moten は    ベイシーに絶大な信頼を置き、ベイシーは多くの曲でソロを 取っている。)。しかし、'36年、Moten が扁桃腺の手術の 失敗で頚動脈を切断されあっけなくこの世を去ると、 バンドは分裂、ベイシーはその一派を率いて独立した。 ここから50年近いバンドリーダー生活が始まる。 この頃、偶然バンドの演奏をカーラジオで聴いてその虜に なった John Hammond がマネージメントを担当。翌'37年には Hammond が連れてきた天才リズムギタリスト、Freddie Green が 加入し、誉れ高い "All American Rhythm Section" が完成。 この頃からベイシー楽団特有のリズムのスタイルが確立される。 また、Lester Young と Harschel Evans のテナーバトルは 有名で、のちにビ・バップの中心的人物となる若き日のCharlie Parker (as) は その当時まだ幼くクラブに入れないため、裏口のドアに耳を 押し当てて Young のソロに聴きいったという。 Ilinois Jacquet (ts) も当時を “Lester を聴いていると 息をするのも忘れた。” と回想している。他にも、 Harry "Sweets" Edison、Buck Clayton (tp)、 Benny Moton、Dickie Wells、J.J.Johnson (tb)、 Buddy Tate、Illinois Jacquet (ts)、Billy Holiday (vo) など、錚々たるミュージシャンがバンドを去来した。




代表作

The Complete Decca Recordings
Count Basie On V-Disc
Count Basie 1944
etc...





1951年〜1956年( Verve 時代)

● 第二次大戦後の不況とレコード会社のレコーディング ストライキ、そして、ロックンロールの勃興によるビッグ バンドジャズそのものの人気低迷などによってバンドの経営が 困難になり、名門ビッグバンドが相次いで解散するなか、 1950年、ついにベイシーもバンドを一時解散し、セプテット (7人編成)〜ノネット(9人編成)に活動を縮小。しかし、 1951年にはビッグバンドを再結成。ただしメンバー は Freddie Green (gt) を残し一新。モダンなプレイにも 対応が出来、譜面にも強いメンバーを集めた。代表的な ところとしては Thad Jones、Joe Newman (tp)、 Benny Powell、Henry Coker (tb)、Frank Foster、Frank Wess (ts) らが挙げられる。そして、優れたアルトサックス奏者であり、 バンドの音楽監督も務めた Marshal Royal (as)、後の アトミックバンド時代の立役者となったエンターテイナーで ありまた極めて優れたリズムマン、Sonny Payne (dr) の加入も 大きな意味を持っていた。この時代は JATP などを企画し プロデューサー/プロモーターとして辣腕を振るっていた Norman Granz 傘下のレーベル( Clef 〜 Verve ) と契約し、バンド内外から新しい楽曲を積極的に登用し、 バンドに新風を吹き込んだ。





代表作

April In Paris
Basie In London
etc...





1957年〜1962年
(アトミックバンド時代)


● 1957年、ベイシーは Capitol Record 傘下の Roulette へ 移籍。それとほぼ同時に不世出のリードトランペッター、 Snooky Young や、生粋のエンターテイナー、Al Grey (tb) が 加入し、アトミックバンドと呼ばれる時代に突入する。 この時期はメンバーの異動がほとんどなく、演奏する楽曲も いたずらに新しい曲をやるのではなく、バンドやメンバーの 特長を知り尽くしたバンド内外のアレンジャーの曲を 演奏していた時代で、ライブなどの音源を聴いてもバンド 全体の切れ味は抜群。「毎晩身震いがするほどだった。」と、 ベイシー本人が回想するのがその時代のバンドの実力を 証明しているだろう。ベイシーのキャリア全体を見て 黄金時代をこの時代とする人も少なくない。





代表作

Basie (a.k.a. Atomic Basie)
Basie Plays Hefti
Chairman Of The Board
Basie One More Time
Breakfast Dance And Barbecue
Kansas City Suite
etc...





1960年代(ベイシーマシーン時代)

● 1960年代はベイシーにとって混迷の時代であったと いっていいだろう。従来のカンサスシティジャズに根ざした サウンドではレコードが売れなくなったため、ビートルズ ナンバーをやったりヒット曲集を作ったりで迷走を続け、 ベイシーマシーンと揶揄された。その原因 は Roulette レーベルを離れ、いくつかのレコード会社を 転々としたこと、ジャズ全体がロックやポップスに 押されていたことなどが挙げられる。 しかし、Duke Ellington (p,ldr,arr) との共演盤や、 スモールコンボ作品にキラリと光るものはあるにはあるし、 鑑賞に堪えない作品は全くと言っていいほど出していない。 また、ライブ活動が低迷していたわけではなく、当時の映像や ライブ音源を聴く限りではスタジオでの創作活動が停滞 していたとはとても思えないほど、躍動感あふれるライブを 繰り広げている。





代表作

Lil' Ol' Groovemaker...Basie !
This Time By Basie
First Time ! w/ Duke Ellington Orch.
Kansas City 7
Sinatra At The Sands w/ Frank Sinatra (vo)
Live At The Sands
Basie's Beatle Bag
etc...





1968年〜1972年( Sammy Nestico (arr) との邂逅)

● 1968年、米国空軍バンドのアレンジャー だった Sammy Nestico (arr)との出会いがベイシーの運命を 変えた。Nestico はカンサスシティジャズの伝統に のっとりながらもそれまでよりはるかにモダンなアレンジを バンドに提供した。1960年代末に吹き込まれた全曲 ネスティコのペンによる Basie-Straight Ahead、 Have A Nice Day という2枚のアルバムは その後の 1970〜1980年代のベイシーの方向性を決定したと 言っても過言ではない。ただ、それでもベイシー自身は まだ模索中であったらしく、Albert Ayler、 Pharoah Sanders などの楽曲を取り上げた Oliver Nelson (arr,ts) のアレンジによる Afrique という問題作を 発表している。このアルバムはベイシー自身、いたく 気に入っていたようで、発売時自らラジオ局へレコードを かけてくれるよう盛んに売りこみに行っていたらしい。 ベイシーの創作意欲が衰えていなかったことを端的に 示すエピソードである。







代表作

Basie Straight Ahead
Basic Basie
High Voltage
Have A Nice Day
Afrique
etc...





1972年〜1984年
( Pablo 時代〜死去)


● ベイシー=ネスティコのコンビを最大限生かすことが 出来たのは、プロデューサー、Norman Granz だった。 彼が経営する Pablo へ移籍したベイシー楽団は次々と快作を 発表。1977年作 Prime Time はグラミー賞を受賞した。 Oscar Peterson (p) や Ella Fitzgerald (vo) などの ビッグネームとの共演も名演が多い。ライブ録音もバンドの 充実ぶりを示す名盤揃い。しかし、1977年心筋梗塞で倒れ入院、 それをわずか9ヶ月ほどで克服し、世界中をまわりつづけた。 その後 1981年にも倒れ、それでも電動車椅子でステージに 上りつづけ、超人的なスケジュールをこなした。 そして 1984年4月26日、彼はフロリダの自宅で眠ったまま息を ひきとった。享年79歳。死因は十二指腸潰瘍とも膵臓ガンとも 言われている。

● 主亡き後のバンドは Eric Dixon (ts,fl) と Clark Terry (tp) が双頭というかたちで一時的に指揮を取ったが、 その後 Thad Jones、Frank Foster、Grover Mitchel、Bill Hughesらが リーダーを務め、現在は Dennis Mackrel (dr) がバンドを 率いている。



代表作

Basie Big Band
Prime Time
Montreux '77
Live In Japan '78
On The Road
Warm Breeze
Fancy Pants
etc...






Count Basie Forever...!